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百人一首総合スレ

1 :立川の名無しさん : 2021/01/22(金) 14:48:49
百人一首とは、100人の歌人の和歌を、一人につき一首ずつ選んでつくった秀歌撰(詞華集)。
特に、鎌倉時代初期に、藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる小倉百人一首は、
歌がるたとして広く用いられ、通常、百人一首といえば小倉百人一首を指すまでになった
小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだ秀歌撰である。その原型は、
鎌倉幕府の御家人で歌人でもある
宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)
に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、
100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、
年代順に色紙にしたためた。小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される。
成立当時には、この百人一首に一定の呼び名はなく、
「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、
「小倉百人一首」という通称が定着した。
室町時代後期に連歌師の宗祇が著した『百人一首抄』(宗祇抄)によって研究・紹介されると、
小倉百人一首は歌道の入門編として一般にも知られるようになった。
江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まり、
人々が楽しめる遊戯としても普及した。
小倉百人一首の関連書には、同じく定家の撰に成る『百人秀歌』がある。百人秀歌も百人一首の形式で、100人の歌人から
一首ずつ100首を選んで編まれた秀歌撰である。『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は、
「後鳥羽院と順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の歌が入っていること、
源俊頼朝臣の歌が『うかりける』
でなく『やまざくら』の歌であることの2点である。この『百人秀歌』は、『百人一首』の原型(原撰本)となったと考えられている。
定家から蓮生に送られた色紙、いわゆる
小倉色紙(小倉山荘色紙)は、蓮生の子孫にも一部が受け継がれた。室町時代に茶道が広まると小倉色紙を茶室に
飾ることが流行し、珍重されるようになった。



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