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たこ焼きについて語ろう

1 :立川の名無しさん : 2020/01/10(金) 13:50:50
たこ焼きの創始者は、大阪市西成区「会津屋」の初代・遠藤留吉とされている[1][2]。1933年(昭和8年)、遠藤はラジオ焼きを改良し、従来のこんにゃくの代わりに醤油味の牛肉を入れて肉焼きとして販売。
1935年(昭和10年)、タコと鶏卵を入れる明石焼に影響を受け、牛肉ではなくタコ・鶏卵を入れるようになり、たこ焼きと名付けた[1][2]。遠藤の故郷会津の郷土料理であるこづゆの味付けを模したダシで、
小麦粉を溶いて仕上げていたという。
会津屋のたこ焼きは、生地に味がついているため、
何もかけずに食べるが、戦前は会津屋以外のたこ焼き屋でも出汁や醤油風味で何もかけずに食べるたこ焼きが大半だった。
第二次世界大戦前の大阪では、2個で1銭程度の価格で売られていた[4]。
戦後、1948年にウスターソースを改良したとんかつソースが発明されたことにより、お好み焼き屋やたこ焼きにも用いられるようになったが、大阪では現在でも古くから営まれているたこ焼き屋で、
出汁や醤油風味のソースをかけないたこ焼きが売られている例がある。
ソースの普及後、たこ焼きを販売する者が増え、また週刊誌が大阪らしいものとして紹介したことで普及が加速し、1955年には大阪市内でたこ焼き店が5000軒はあるという説が出るほど一般化した。
その頃は10円で4個から6個という価格であった。 
当時はタコをかなり細かく刻んで入れていたため、「たこ燒きの たこらしいのが 齒にあたり」(梅柿)という川柳も残されている。
1960年代中頃には、関東地方でも屋台での販売が見られるようになる。東京の銀座では生地にエビのすり身を入れたたこ焼きの屋台が、独特の風味で人気を博した。
九州地方では福岡県の八ちゃん堂が1977年に自動車による移動販売を開始し、翌1978年にフランチャイズ営業を開始[5]して、普及を促進した。



2 :立川の名無しさん : 2020/01/10(金) 13:54:39
1984年海善が冷凍たこ焼きの技術を確立し、販売を開始。1988年に元祖たこ昌を起業、1992年には新大阪駅に出店して、大阪みやげとして宣伝。
1990年代後半からは、関東地方ほかでチェーン展開する企業が現れた。1997年には、群馬県新田郡笠懸町(現みどり市)で「築地銀だこ」が創業、
関西とは異なる表面をカリカリに焼き上げるたこ焼きをチェーン展開し、後に北海道から沖縄県にまで出店を果たした[6]。
また、2002年には東京都板橋区の「京たこ」がチェーン展開を開始
やはり北海道から沖縄県にまで出店を果たした。本場の関西地方にもこれらの全国チェーン店が出店しているが、
関西では個人経営の小規模店舗がまだ多く、根強い人気を保っている。
2010年代には、たこ焼きの缶詰も登場した[8]。



3 :立川の名無しさん : 2020/01/10(金) 13:56:40
たこ焼きの創始者である会津屋。現在は玉出に本店を構える



4 :立川の名無しさん : 2020/01/10(金) 13:59:19
大阪にあるたこ家道頓堀くくるの看板



5 :立川の名無しさん : 2020/01/10(金) 14:10:01
ラジオ焼き(ラヂヲ焼き)は、たこ焼きの元祖であり、スジ肉を具材として丸く焼いた粉もの料理である。球状にくぼんだ鉄板を使用して、小麦粉を主体とする生地と他の具材を入れて丸く焼き上げる。
ちょぼ焼き板を使用してカンテキで焼く「ちょぼ焼き器」・「ちょぼ焼きコンロ」という調理器具も使用されていた。
歴史的にはもんじゃから派生しどんどん焼きから一銭洋食、そしてちょぼ焼き、ラジオ焼きが生まれていった[1]。
子供のおやつの屋台を中心に、明治〜大正で流行していた[2]。また、昭和8年ごろちょぼ焼きにおでん種として用いられる醤油味の牛スジ肉を入れて売っていたともされ
、当時まだ高価でハイカラの象徴だった
ラジオにあやかってラジオ焼きと呼ばれるようになった。
後に明石焼きの具をまねてたこを入れたものがたこ焼きとなり、これが大阪で人気となったため、現在においてはたこ焼きの方がポピュラーとなっているが、関西圏のたこ焼き屋ではサブメニューとして供されている店舗が存在する[4]。



6 :立川の名無しさん : 2020/01/10(金) 14:28:02
会津屋の元祖ラヂオ焼き



7 :立川の名無しさん : 2020/01/10(金) 14:53:16
今ではそばにあって当たり前のたこ焼きの歴史。
まずはたこ焼きのルーツでもある明石の玉子焼から、
お話したいと思います。



明石の玉子焼(のちの明石焼き)は、
明治時代に生まれたそうです。
少々関係ない話かもしれませんが、
玉子焼ができる前、「かんざし」などにつける飾り玉で、
「明石玉」と言うのが江戸時代に発明され、
それをつくるのに「玉子の白身」を利用していました。
「明石玉」を作るには米の粉を団子にして、
赤く色をつけた牛のつめをはって作っていたとの事です。
それで、玉子の白身を接着剤にしていたんですね。

白身だけ使ったら黄身が当然あまってしまいます。
もったいないから、黄身を焼いて食べていて、
これが「明石焼き」誕生のきっかけと言われています。

明治中ごろセルロイド(今で言うプラスチック)が輸入されるようになり、
「明石玉」がセルロイドにとってかわり職を失った「明石玉」の職人が、
てっとり早い商売つまり屋台で食べ物屋をはじめました。

そこで「明石玉」の型をつかって丸い食べ物を作ります。
それが「明石の玉子焼」の元なんです。
明石では蛸がたくさん獲れていたので、
具に入れたところこれがとても美味しかったんですね。

その頃大阪ではラジオ焼きやチョボ焼きと言うものがありました。
ラ ジオ焼きやチョボ焼きと言うのは「蛸なしのたこやき」です。
まだソースも使わなかったし、具もえんどう豆とかこんにゃくとか肉とかでしたが、
たまたま明石から来たお客さんの情報をもとに蛸を入れたらこれがとても美味しく、
当時まだソースではなく醤油で味付けでした。
これがたこ焼きの誕生、歴史です。



8 :立川の名無しさん : 2020/01/11(土) 03:06:58
多数の半球状の窪みのある鉄鋳物(製品によってはアルミニウム鋳物、銅板、アルミニウム板、ステンレス板の打ち出し)のたこ焼き器を火にかけて加熱する。窪みに油を塗ってこびりつかないようにする。
だし汁で溶いた小麦粉に薬味を加えた生地をたこ焼き器の窪みに流し込み、タコなどの具材をひとつひとつ入れてゆく。
しばらく加熱をして、たこ焼き器と接する面がカリッと焼けたら、先の尖った錐を窪みの表面に差し込んで、窪みの周囲に沿って一周させて剥がし、
次に窪みの中でひとつひとつ上下を反転させて、中の生地を下に流し出し、 
球形に焼き上げる。半球ずつ形成し、中に空洞を作るのが食感良く仕上げるこつ[9]。
焼きあがったら、錐で刺すか掻き上げて容器に移し、ソースやたれを塗り、好みでマヨネーズもかけ、青海苔、削り節等を振りかけて提供する。
たこの代わりにチーズなどを入れることもある。



9 :立川の名無しさん : 2020/01/11(土) 03:08:03
屋台で調理中のたこ焼き



10 :立川の名無しさん : 2020/01/12(日) 00:27:45
屋台で調理中のたこ焼き



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