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妖怪について語ろう

1 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 12:03:51
妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。
妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。
妖怪は日本古来のアニミズムや八百万の神の思想と人間の日常生活や自然界の摂理にも深く根ざしており
その思想が森羅万象に神の存在を見出す一方で、否定的に把握された存在や現象は妖怪になりうるという表裏一体の関係がなされてきた
時代ごとに人間が超自然現象と感じる事象の範囲は異なるが、時代をさかのぼればさかのぼるほどその範囲は広かったと考えられる
古来のアニミズム的な思想において、あらゆる事象に宿るとされていた霊的存在は「物の気」などとも表現されてきた
霊魂はそれぞれが感情を持つと信じられており、和んでいれば豊作のような吉事をもたらす「和魂」であり、荒れていれば災害や疫病のような凶事をもたらす
「荒魂」であるとし、荒魂を和魂に変える手段が「祭祀」であり「鎮魂」であった[6]。一般的に先祖や偉人、
地域によって時には自然や動物も和魂として守り神となってもらえるように祀り続ける一方で、
その時代では解明できない凶事と畏怖をもたらす存在も、祀ることで凶事をもたらさなくなるよう鎮魂が試みられてきた
つまり、元々は妖怪的存在とは荒魂のうち祀られなかった、祀ることに失敗した、もしくは祀り捨てられた存在に求めることができるといえる
もっとも、時代の進行に伴い、超自然現象ではなく合理的に説明できる事象の範囲が著しく増加していく。同時に、
妖怪を盛んに絵巻や絵として造形化することにより見た目の固定化、キャラクター化が進み、畏れは和らぎ、時代の流れとともに妖怪は娯楽の対象へと移り変わっていく。
娯楽化の傾向は中世から徐々に見られ始め[9]、江戸時代以降に決定的なものとなる[10]。



2 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 12:09:20
提灯お化け(ちょうちんおばけ)は、日本の妖怪の一種で、提灯の妖怪。「ちょうちん」(提灯)「化け提灯」「お化け提灯」「提灯小僧」などとも呼ばれる。
江戸時代以後に作られた草双紙やおもちゃ絵、かるた(『お化けかるた』など)に姿が見られるほか、
明治・大正時代以後も玩具や子供向けの妖怪関連の書籍、お化け屋敷の演出などに見られる。
古い提灯が上下にパックリと割れ、その割れた部分が口となって長い舌が飛び出し、提灯の上半分には一つ目ないし二つの目があるのが一般的に考えられている「提灯お化け」の姿である。
提灯から顔、手、体、翼が生えていることもある。
江戸時代の絵画には、桶型、小田原提灯型[1][2]のものも描かれている。鳥山石燕は『百器徒然袋』に不落不落(ぶらぶら)[3]という名称で提灯のかたちの妖怪を描いている。
また、葛飾北斎の『百物語』にある「お岩さん」や、歌川国芳の『神谷伊右エ門 於岩のばうこん』など江戸時代後期に制作された浮世絵が知られる。これらは歌舞伎『東海道四谷怪談』(1825年)における、
伊右衛門に殺されたお岩の霊が提灯から姿を現わす演出(「提灯抜け」と呼ばれている)[4]や提灯に顔を現わす演出(『累渕扨其後』1813年、中村座[5]など)から発想され描かれたもので、
提灯お岩(ちょうちんおいわ)と呼ばれている[6]。
器物の妖怪が多数描かれている絵巻物に『百鬼夜行絵巻』があるが、江戸時代以前のものと見られる古い作品に、提灯が描かれた作品は確認されていない。江戸時代以後には狩野乗信『百鬼夜行之図』などの作例が見られる。



3 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 15:49:30
牛鬼(うしおに、ぎゅうき)は、西日本に伝わる妖怪[1]。主に海岸に現れ、浜辺を歩く人間を襲うとされている。
非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好む。
伝承では、頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ。または、その逆に頭が鬼で、胴体は牛の場合もあるまた、
山間部の寺院の門前に、牛の首に人の着物姿で頻繁に現れたり、牛の首、鬼の体に昆虫の羽を持ち、空から飛来したとの伝承もある。
海岸の他、山間部、森や林の中、川、沼、湖にも現れるとされる。特に淵に現れることが多く、
近畿地方や四国にはこの伝承が伺える「牛鬼淵」・「牛鬼滝」という地名が多く残っている。
『百怪図巻』など江戸時代に描かれた妖怪絵巻では、牛の首をもち蜘蛛の胴体を持っている姿で描かれることが多い。
『百鬼夜行絵巻 (松井文庫)』では同様の絵が
「土蜘蛛」という名で記され牛鬼(鳥山石燕『画図百鬼夜行』に似たものが描かれている)と区別されている例もいくつか見られる。



4 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 15:55:05
鬼童丸、鬼同丸(きどうまる)は、鎌倉時代の説話集『古今著聞集』などに登場する鬼。
『古今著聞集』には以下のように記述されている。
酒呑童子討伐で知られる武将・源頼光が弟・源頼信の家へ行ったとき、
厠に鬼童丸が捕えられていた。頼光は、無用心だから鎖でしっかり縛っておくようにと頼信に言い、
その晩は頼信の家に泊まった。鬼童丸は縛めの鎖をたやすく引きちぎり、頼光を怨んで彼の寝床を覗いて様子を窺った。
頼光はこれに気づき、従者たちに「明日は鞍馬に参詣する」と言った。そこで鬼童丸は鞍馬に先回りし、
市原野で放し飼いの1頭の牛を殺して体内に隠れ、頼光を待ち受けた。しかし頼光はこれをも見抜き、頼光の命を受けた渡辺綱が弓矢で牛を射抜いた。
牛の中から鬼童丸が現れて頼光に斬りかかってきたが、頼光が一刀のもとに鬼童丸を斬り捨てたという[1]。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』には「鬼童」と題し、鬼童丸が雪の中で牛の皮をかぶり、市原野で頼光を待ち受ける姿が描かれている[2]。



5 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 15:57:33
鬼童丸の話はこの『古今著聞集』がよく知られているものの、ほかにも武者絵本類や伝承などで様々に伝えられている。
京都府福知山市雲原の口碑では、鬼童丸は酒呑童子の子として以下のように伝承されている。源頼光が酒呑童子を討ち取った後、
酒呑童子に捕われていた女子供たちは故郷へと帰されたが、その中の1人の女は精神に異常を来たしており、故郷へ帰ることができず、雲原で酒呑童子の子供を産んだ。
その子供は産まれながらにして歯が生えそろっており、7、8歳の頃には石を投げてシカやイノシシを仕留めて食べていた。
やがてこの子供が成長して鬼童丸となり、
父の仇として頼光たちを狙うようになったのだという[3]。
また軍記物語『前太平記』などによる別説では、酒呑童子が捨て童子であったという説と同様、
もとは鬼童丸も比叡山の稚児であり、悪行が災いして比叡山を追われたため、
山中の洞穴に移り住んで盗賊となったともいう[2][4]。
曲亭馬琴による『四天王剿盗異録』では鬼童丸が山中の洞窟で、
『今昔物語集』などにある盗賊・袴垂に会って術比べをする場面がある。
これを描いた作品に、歌川国芳による『鬼童丸』や月岡芳年の『袴垂保輔鬼童丸術競図』などの浮世絵がある



6 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 16:31:20
からかさ小僧(からかさこぞう、唐傘小僧)は日本の妖怪の一種で、傘(からかさ)の妖怪。
から傘おばけ、傘化け(かさばけ)一本足(いっぽんあし)からかさ一本足(からかさいっぽんあし)おばけかさなどとも呼ばれる。
江戸時代以後に作られた草双紙やおもちゃ絵、かるた(『お化けかるた』など)歌舞伎に姿が見られるほか、
明治・大正時代以後も玩具や子供向けの妖怪関連の書籍、お化け屋敷の演出、映画などに見られる。
一つ目の付いた傘が一本足で飛び跳ねる姿が一般的に描写される。傘から2本の腕が伸びていることや、目が2つのこともあり長い舌を伸ばしていることもある
2本足で描かれている例もある(狩野宴信『百鬼夜行図巻』[9]など)。
古いものは室町時代の絵巻物『百鬼夜行絵巻』にも見られるが、同絵巻での傘の妖怪は、たたんだ傘を頭部に頂いた人型の妖怪である(百鬼夜行絵巻の項目の画像を参照)。
一つ目・一本足という妖怪の姿は江戸時代以降の絵画に見られ、江戸時代から大正時代にかけてのお化けかるたの絵札にも、一本足の姿が多く見られる
歌舞伎舞踊では一本足の姿に役者が扮装して踊ることが行われ(顔は普通に傘の中から出している)、江戸時代後期には変化舞踊『松朝扇うつし絵』(1857年9月 中村座)に
一本足明治時代にも『闇梅百物語』(河竹新七、1900年)に傘一本足という役名で登場している
安政年間に出版された絵双六『百種怪談妖物双六』(歌川芳員、1858年)にも「鷺淵の一本足」(さぎふちのいっぽんあし)の名で一つ目・一本足の姿が描かれている[13]。
明治から昭和にかけては、印刷物によって享受されたり、お化け屋敷の出し物として使われたり
漫画やアニメ妖怪を題材とした映画などのキャラクターとしても多用された[4]。室町時代以後、
『百鬼夜行絵巻』に数多くの無生物・器物の妖怪が登場している中、著名な妖怪として伝えられているのは傘の妖怪のみと見られており[
器物の妖怪の中で最も知られたものであるともいえる[12]。



7 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 16:32:48
大変有名な妖怪である反面、地域などに即した具体的な伝承はほとんど残されていないとも言われており、妖怪関連の書籍によっては
「絵画上でのみ存在する妖怪」として分類されたり[
伝承を伴わない創作話のみに登場する妖怪とする説もある
また、この妖怪も書籍によっては付喪神(つくもがみ、歳月を経た器物が化けた妖怪)であり、その一例としているものもあるが
それを証明する古典などの文献は確認されていない[2]。
確認されている伝承には、以下のものなどがある。
新潟県笹神村(現・阿賀野市)の伝承では、三十刈という場所にカラカサバケモン(唐傘化け物)という妖怪が出たと伝わっている[



8 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 16:42:46
山爺(やまじじい)または山父(やまちち)[1](あるいは地域によって「やまんじい[2]」)は、日本に伝わる妖怪の一種。
一つ目一本足の爺の姿をした妖怪といわれる[1]。土佐民俗学会発行による『近世土佐妖怪資料』によれば高知県をはじめとする四国地方に伝承されており、
身長が3〜4尺(約90〜120センチメートル)、全身に鼠色の短毛が生えており、目は二つ目だが、
片方が大きく片方が非常に小さいため、一つ目に見えるとある。一つ目の伝承は、この一つ目に見える二つ目が誤解されて伝わったものともいう。
イノシシやサルなどの骨を、まるでダイコンのようにたやすく噛み砕くほどの頑丈な歯を持っているので、猟師たちはこの山爺を餌で手なずけ、オオカミを追い払うのに使っていたという[3]。
人間の往来する道に現れることもあるものの、人に見られることはなく、
6,7尺おきに一足ずつ、杵で押したように丸い4寸ほどの大きさの足跡を残すという
とてつもなく声が大きく、その叫び声は山中に響き渡り、天地を震えさせ、木の葉を落とし、付近の木や岩を動かすほどという
この大声で鼓膜を破られて死んだ者もいるといわれる[6]。山爺はしばしば人間に大声比べを挑み、猟師が自分の声とみせかけて銃声を鳴らして負かすといった昔話が四国各地に見られる
しかし銃声で騙されたことに気づいた山爺は、クモに化けて相手の家に忍び込み、寝込みを襲って怨みを晴らすともいう
また猟師は大声比べに備え、大晦日の晩に伊勢八幡大菩薩と祈りながら作った銃弾に「伊勢八幡大菩薩」の名を刻み込み、常に携帯していた。この銃弾は、かつての猟師は必ず一つは携帯していたといわれるもので、
狙わなくても命中するが、携帯していると一度は必ず妖怪に出遭ってしまうという不思議なもので、山爺に対してこの銃弾を撃つと言ってと脅すと、山爺は恐れおののいて逃げ去ったという



9 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 16:44:51
性格は、同じ山の妖怪で人を襲うとされる山姥などに比べると比較的おとなしく、人に騙されることもあるというが
子供や家畜をさらうという伝承もある[9]。また山姥同様、山爺も人に富をもたらすという説もある。かつて高知県物部村(現・香美市)の中尾という者が、
山爺にタカキビ(モロコシ)の種をもらい、それを蒔くと大豊作となった。その年の末に山爺が現れ、餅がほしいというのでたくさん食べさせた。翌年も大豊作となり、さらに多くの餅を山爺に食べさせた。
この繰り返しの挙句、山爺は3斗(約54.5リットル)もの餅を平らげるほどになったので、
家計を危ぶんだ中尾は、餅と偽って焼き石を食べさせ、熱がる山爺に茶と偽って熱い油を飲ませた。山爺は驚いて逃げ帰り、途中で命を落とした。以来、豊作だった中尾家は一気に衰えてしまったという。
土佐国の妖怪譚を綴った『土佐お化け草紙』(作者不詳)には、馬で荷を運んでいた男が山父(山爺)に荷を食べられ、しまいには馬まで食べられてしまったという話がある。この挿絵の山父は伝承とは異なり、
2本脚で描かれているが(画像参照)[11]、これについては伝説上のものは一つ目で1本足の妖怪、昔話におけるものは人間と同じ姿の巨人とされている[12]。



10 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 16:50:52
豆腐小僧(とうふこぞう)は日本の妖怪の一つで、盆に乗せた豆腐を手に持つ子供の姿の妖怪。
江戸時代の草双紙や黄表紙、怪談本に多く登場する妖怪であり
幕末から明治時代にかけては凧の絵柄すごろく、かるたなどの玩具のキャラクターとしても親しまれていた
川柳、狂歌、絵本番付(芝居の内容を紹介する小冊子[5])錦絵などにも見られる
一般には頭に竹の笠をかぶり、丸盆を持ち、その上に紅葉豆腐(紅葉の型を押した豆腐[6])を乗せた姿で描かれている。
身にまとう着物の柄は、疱瘡(天然痘)除けとして春駒、だるま、ミミズク、振り太鼓、赤魚などの縁起物や、
童子の身分を著す童子格子に似た格子模様も見られる。
本来の草双紙などにおける豆腐小僧は、特別な能力などは何も持たず、町のあちこちに豆腐や酒を届けに行く小間使いとして登場することが多く
「豆腐小僧ハ化ものゝ小間使ひ」と川柳にも詠まれている[3]。人間に対しては、雨の夜などに人間のあとをつけて歩くこともあるが、
特に悪さをすることもなく、たいして人間に相手にされることもない、お人好しで気弱、滑稽なキャラクターとして描かれている
悪さをするどころか、軟弱な妖怪としてほかの妖怪たちにいじめられる例もある
平成以降でいうところの、癒し系キャラクターに相当するとの解釈もある
また、恋川春町による安永8年(1779年)刊行の黄表紙『妖怪仕内評判記』では、豆腐小僧はイタチが化けたものと記述されており
後の書物では、父は妖怪の総大将・見越入道、母は轆轤首などとされている。
昭和・平成以降の妖怪関連の文献では、雨の夜に現れ、通りかかった人に豆腐の賞味を勧めるが、食べると体中にカビが生えてしまう、
などと記述されていることが多いが
妖怪研究家・京極夏彦などによれば、この説は昭和以降の子供向けの書籍による創作とされる



11 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 16:53:12
豆腐小僧は安永年間に書籍類に突然登場した妖怪とされ、
当時の草双紙や黄表紙、怪談本、玩具のキャラクターとして人気を博し、その人気は明治時代頃まで続いていた
前述の黄表紙『妖怪仕内評判記』が初出とされ、それ以前の文献に豆腐小僧は確認されていない[3]。豆腐料理本『豆腐百珍』が刊行された
天明2年(1782年)には、黄表紙や草双紙などの滑稽文学、漫画絵本に登場して有名な妖怪と化していた
このような豆腐小僧の人気ぶりは、出版業界や芝居業界といった都市文化の中で生まれたこの妖怪が、
いわば江戸の人々のために作られた妖怪という点が大きな要因と考えられ
江戸時代当時、安くて栄養に富む食品である豆腐が人々にとても好まれていたことを反映しているとも考えられている。
歌舞伎の世界でも、
歌舞伎役者・大谷徳治のような役者が豆腐小僧を演じている様が
浮世絵などに描かれている事例もいくつかある



12 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 16:56:32
化け古下駄(ばけふるげた)または化けた古下駄(ばけたふるげた)は、日本の妖怪の一つで、下駄が古くなって変化した妖怪。
宮城県に伝承される民話として、以下のものがある。
陸前国寒風澤(現・宮城県塩竈市寒風沢島)でのこと。
夜になると町中を「鼻いでえ、鼻いでえ。(鼻が痛い、鼻が痛い。)」と言いながら歩く者がいた。
あるときに若者たちが、何者か確かめようと夜の町に出た。しかし声がするだけで姿が見えなかった。
若者の1人は素性をつきとめようと声を追った。近くの藪からざわめき声が聞こえるので近寄ると、
人間とは異なる声で歌い踊る声が聞こえ、その声は自分たちを「下駄」「蓑」「太鼓」「割籠」などと呼んでいた。
恐怖を感じた若者は、そのまま家へ逃げ帰った。翌日、その若者が仲間たちに事情を話してその薮へ行ってみると、
海から打ち上げられた蓑、太鼓、割籠などが散らばっており、その中に鼻の欠けた下駄があった。
あの鼻を痛がる者の正体はこの下駄かと睨んだ若者たちは、下駄などをその場で焼き捨てた。以来、あの鼻を痛がる者は現れず、
薮の中から歌い踊る声も聞こえなくなったということである[4]。
佐々木喜善の著書『聴耳草紙』にも履物の化け物が登場し、
この履物が下駄であることが推察されているが
化け古下駄と同一のものかは不明。



13 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 20:37:22
けち火(けちび)は、高知県に伝わる怪火人間の怨霊が火の玉と化したものとされ、草履を3度叩くか、草履に唾をつけて招くことで招きよせることができるという
火の中には人の顔が浮かんでいるともいう[2]。
海上に現れるともいい、そのことから船幽霊の一種ともいわれる奈良県に伝わる怪火・じゃんじゃん火と同一視されることもある[4]。
民話研究家・市原麟一郎の著書によれば、大きく二つに大別され、
人が死んだ瞬間にその肉体から発生したものと、
眠っている人間から発生するものとがあるとされる[5]。
後者の事例としては、明治初期の高知県香美郡(現・香美市)の以下のような民話がある。芳やんという男が夜道を歩いていると、
物部川のそばで道端にけち火が転がっていた。近づくところころと転がりだすので、好奇心から追いかけたところ、
けち火も逃げ出し、その内に人家に入り込んだ。
その家では、うなされながら寝ていた男が目を覚まし、妻に「芳やんが追いかけて来るので必死に逃げて来た」と語ったという[6]。
また同じく明治時代の高岡郡の民話では、斎藤熊兄という度胸のある
男がけち火を目撃し、「ここまで飛んで来い」と怒鳴ったところ目の前に飛来して来た。
斎藤はけち火を生け捕りにしようとするが、手でつかんだり足で踏みつけようとするたびにけち火は消え、
また現れを繰り返した。ようやく両手でつかみ取って家へ持ち帰ったが、家で手を開くと、いつの間にかけち火は消えていた。
翌日から熊兄は原因不明の熱病にかかり、そのまま死んでしまったという[7]。
江戸時代の土佐国(現・高知県)の
妖怪絵巻『土佐お化け草紙』(作者不詳)では、鬼火と書いて「けちび」とふりがながふられている



14 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 20:46:12
がしゃどくろ、がしゃ髑髏は昭和中期に創作された妖怪であり、民間伝承由来の妖怪とは出自が異なる。1960年代後半に刊行された児童書の類において創作されており、
最初に書籍に登場したのは、山内重昭『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』(秋田書店、1968年)に収録された斎藤守弘による妖怪記事であ
同時期に水木しげるや佐藤有文にも取り上げられ、1970年代以後も両者の著書によって紹介され続けて広く知られるようになった。日本の妖怪。戦死者や野垂れ死にした者など、埋葬されなかった死者達の骸骨や怨念が集まって巨大な骸骨の姿になったとされる。
夜中にガチガチという音をたててさまよい歩き、生きている人を見つけると襲いかかり、握りつぶして食べると言われる
昭和中期に創作された妖怪であり、民間伝承由来の妖怪とは出自が異なる。1960年代後半に刊行された児童書の類において創作されており、
最初に書籍に登場したのは、山内重昭『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』(秋田書店、1968年)に収録された斎藤守弘による妖怪記事である
同時期に水木しげるや佐藤有文にも取り上げられ、1970年代以後も両者の著書によって紹介され続けて広く知られるようになった。



15 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 20:53:30
塗仏(ぬりぼとけ)とは、佐脇嵩之の『百怪図巻』などの江戸時代の日本の妖怪絵巻にある妖怪。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』にも描かれている
体の黒い坊主の妖怪で、両目玉が飛び出して垂れ下がった姿で描かれている。どの資料にも一切の解説文がないため、どのような妖怪を意図して描かれたものかは不明である。
江戸時代の絵巻物などや絵双六『十界双六』(国立国会図書館所蔵)には「ぬりぼとけ」あるいは「ぬり仏」とあり、長い髪の毛のようなものが背面に描かれている。
『百怪図巻』では魚の尻尾のようなものが背面に描かれている例も見られる
河鍋暁斎『暁斎百鬼画談』(1889年)では名称の表示は無いが絵巻物の「ぬりぼとけ」と同形の、両目玉の飛び出た妖怪が描かれている[4]。
『百鬼夜行絵巻』(松井文庫所蔵)では、黒坊(くろぼう)という名称で描かれている。絵巻物などや絵双六に描かれている「ぬりぼとけ」らと姿は同じであり、
両目玉が飛び出して垂れ下がっている。黒坊は同絵巻に登場する妖怪としては一番先頭に描かれている[5][6]。
江戸時代の随筆『嬉遊笑覧』に引かれている古法眼元信が描いた「化物絵」に描かれていたとされる妖怪の中には「ぬりほとけ」という名称が確認できる[7]。
鳥山石燕『画図百鬼夜行』では仏壇の中から出現している姿が描かれている[1]。仏壇が塗仏の絵画に描き添えられているのは石燕の『画図百鬼夜行』のみである。



16 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 20:55:43
昭和・平成以降の妖怪に関する文献では容姿や名称から、仏壇から突然現れ、目を飛び出させて人を脅かす
仏壇から飛び出しなまけ者の僧に襲いかかるなどの説がある
民俗学者・藤沢衛彦は『妖怪画談全集 日本篇』(1929年) に挿絵として掲載した石燕の「塗仏」の絵に、
「器物精霊としての塗仏の怪」というキャプションを添えている[12]。眼が垂れているのは、
お仏壇を汚いままにしている家の者の眼は何を見ているのか?その眼は何も見えていないのではないか?というような意図で描かれたとも云われる。
そのため、お仏壇を綺麗にしていない家の人々を驚かせる為に現れるとされる。



17 :立川の名無しさん : 2019/08/29(木) 21:01:25
苧うに(おうに)は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』で描かれている日本の妖怪
口が耳まで裂けた鬼女のような顔をした妖怪で、全身が毛に覆われている。石燕による解説文はなく、どのような妖怪であるかは不明である
「苧うに」の「苧」(お)とは植物のカラムシ、あるいはカラムシや麻の繊維から作られた糸を束ねた房を意味しており、
この妖怪の髪や体毛が積み上げた苧を連想させることから、石燕が「苧うに」と名づけたといわれる[3]。
江戸時代の妖怪絵巻のひとつである『百怪図巻』(佐脇嵩之・1737年)には「わうわう」の名で描かれており、
江戸時代の妖怪絵巻では大体がそれが名称として用いられているが、
これらの例も絵のみで具体的な性質などがあるとは知られていない。
石燕よりも後の時代に描かれた『百鬼夜行絵巻』(尾田郷澄・1832年)に「うわんうわん」
の名で描かれている例もあり、苧うには先行する絵巻の図を参考に石燕が描いた妖怪であると考えられる。



18 :立川の名無しさん : 2019/09/07(土) 00:02:36
にがわらいは、日本の妖怪絵巻に描かれている妖怪。苦笑(にがわらい)とも書かれる
角の生えた怪物のような姿で描かれる。熊本県八代市の松井文庫所蔵品である妖怪絵巻『百鬼夜行絵巻』[2]をはじめ、おなじく江戸時代に描かれた絵巻物『百物語化絵絵巻』(1780年)や『ばけ物つくし帖』に描かれている。
どのようなことをする妖怪であるのかは絵巻物にも示されていないため詳細は不明である。デザイン上のモデルとなったのは、
室町時代の『百鬼夜行絵巻』に描かれている同様の姿をした妖怪であると考えられている



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